【私達は、悲しくて辛くて苦しい暗い思いとともに生まれてきたのです。
   すでに、そのような暗い思いは自分達の中にあったものでした。
   それらの思いと、どのように向き合っていけばいいのか、それが人生の最大の課題なのです。】

  自分に聞いてください

 人は、みんな、何かを求めて生きています。
 自分を打ち込めるもの、自分を託すことができるもの、自分を賭けることができるもの、自分を必要としてくれるもの、そういうものを知りたいとか、そういうものに出会いたいとか、その願望があるのではないでしょうか。それが具体的に何かは、今一つ分からずに、ずっと模索(もさく)中の人も多いと思います。
 それでは、何もかも忘れて、没頭(ぼっとう)できるもの、集中できるものに出会っている人達は、幸せだと思いますか。夢を追い求めていると語っている人達は、どうでしょうか。本当にその人達の人生、キラキラと輝いているのでしょうか。
 また、家族のため、会社のため、社会のため、我が国のため、世界人類のためをスローガンに、自分の人生を描いていく人達もいます。ため、ため、ためと言って力を尽くすことが、本当に立派なことなのでしょうか。

 それでは、同じためと言っても、自分のために生きようとする人はどうでしょうか。
 普通、自分のために生きるというのは、とかく自己中心的なふうに考えられがちです。そうではなくて、ここで言う自分のために生きるというのは、自分の中に生き続けているたくさんの自分のために今を生きるということです。私は、このことが何よりも肝心(かんじん) なことであり、これが抜けている人生など腑抜(ふぬ)けの人生だと、自分の中から伝わってきます。自分の中の苦しみに目をつぶり、目を()らしていては、幸せな人生、キラキラと輝く人生、立派な人生とは決して言えないのです。そして、それが分からないから、人はいつまでもどこまでも彷徨(さまよ)っていくのだとも伝わってきます。
 「いい加減に目を覚ましなさい」と、世の中の流れは、益々大きなうねりの濁流となって、警告を発してくるのです。とても信じられないことが、ある日突然起こっても、本当は何の不思議もないのです。みんな肝心なことを忘れ去ってしまって、狂っている状態なんだと自らに知らしめてくるんです。

 私達は、過去から、何度も何度も、辛い苦しい目に()ってきました。しかし、なぜ辛くて苦しい目に遭ってきたのか、全く分かりませんでした。そして、今世もまた、懲りずに何とか幸せになろう、なりたい、今度こそはと生まれてきました。しかし、それは、ただ単に幸せになろう、なりたいというのではないのです。あなたは、その奥に秘めた悲しいまでに切ない思いを、どれだけ心で感じているでしょうか。
 実は、今、悲しいことや、苦しいこと、辛いことがあるから、悲しい、苦しい、寂しい、辛いのではなくて、そのような思いは、自分の中に抱えきれないほど、すでにあったのです。今、降って湧いてきたものではなく、すでに自分が抱え持っていたものでした。

 いいでしょうか。ここがポイントです。
 悲しいとか苦しい、辛い、寂しいという思いは、人間だったら、そういう場面に遭遇したら、当然に出てくる思い、感情かもしれませんが、それで終わったら、今世も過去と同じです。世間一般はそうです。「心を見る」ことをしなければ、そうです。「それが人生なのだ」「だから人生なのよ」と歌の文句ではないけれど、みんなそう思って諦めてしまうのです。世間に流れていくのです。「時が解決するよ」と自分を納得させていくのです。

 諦めたらダメです。変に納得しないでください。ここが踏ん張りどころなんです。
 私達は、悲しくて辛くて苦しい暗い思いとともに生まれてきたのです。すでに、そのような暗い思いは自分達の中にあったものでした。それらの思いと、どのように向き合っていけばいいのか、それが人生の最大の課題なのです。
 思いの重圧に押しつぶされたり、そこから逃避したりするだけでは、そして、ただ悲しい、苦しい、寂しい、辛い、と訴えるばかりでは、その人は、自分の人生を生きていることにはなりません。そういうことでは、本当の喜びであるとか、本当の幸せとはこういうものなのかを実感する人生に巡り合わないでしょう。

 苦しくてもいい、辛くてもいい、寂しくても、砂を噛むような(むな)しさに狂ってもいい。しかし、人生を投げ出したり、狂ったりしたままではいけないのです。そこから、何を知っていくかです。そこから、どのように自分を見つめていくかです。そのために、自分に用意してきた時間、肉体を持っている時間が、つまり、今のあなたの人生です。
 人生を生きるとは、自分を見つめていくことです。一生懸命、自分に(むく)いてやれるエネルギーを、自分の中で掘り出していくことが、自分を幸せに喜びに、そして、安らぎに導いていくことだと、私は思います。

 「自分を自分で導いていく、暗い自分から明るい自分へ導いていくことができるパワーが、自分の中にあるのではないか。そのパワーこそが、ずっと私が切望してきたパワーではなかったか。」
 私は、そう自分に問いかけてきました。そして、それを、今、私達は愛と呼んでいます。私達の中にもともとあった愛のエネルギー、愛のパワーです。それを、苦しみながらも、悩みながらも、目覚めさせていくように、(よみがえ)らせていくように、自らをいざなっていると、自分の中で知っていけば、こんな喜びはないでしょう。こんなに幸せな時はないと、自分の中の愛が語ってくれるのです。

(塩川香世著『愛、自分の中の自分 意識の転回Ver.3』より抜粋)