【心が苦しいということは、どういうことだと思いますか。】
そもそも、あなたは、日常の中で、自分の心が苦しいと感じていますか。
その前に、心が苦しいということは、どういうことだと思いますか。
例えば、人を恨んだり、憎んだり、妬んだり、怒ったり、罵り、支配し、蔑み、責め裁き、恐怖したとき、あなたは、幸せですか。
泣いたり、喚いたり、不平不満、愚痴を言っているとき、嘆き哀しみ、打ちひしがれているとき、絶えず、人と比べ合い、競い合い、その中で、自分を誇るとき、あるいは自分が落ち込むとき、そして、相手をどんどん攻撃するときのあなたは、どうでしょうか。
心が苦しい・・・・・・、心が苦しいことすら分からない人もいると思いますが、今、私達は、自分を形あるものとしてとらえ、目に見えて、耳に聞こえて、手に触れることのできる現実を、現実としてとらえているから、私達の心は苦しくて当たり前なのです。
それを、何かで紛らわせて、何かで誤魔化して、あるいは、何かにエネルギーを集中させて、自分の心の苦しみを、真正面から見ようとしないだけです。
大抵は、自分の心が苦しい、自分は苦しいということが分からずに、人生という時間が、夢うつつのうちにあっという間に過ぎ去っていってしまいます。
そして、私達は、苦しみを紛らわせて、誤魔化して、その中で、幸せを求めていこうとしています。
しかも、紛らわせていることも、誤魔化していることも分からずに、気付かずにいます。
それが、事実だとしたら、そんなことをして、本当に幸せを感じていくことができると、あなたは思いますか。
自分の中の苦しみと真向かいにならずに、夢うつつのうちに時間が過ぎ去ってしまうのが、私達人間の現実、実際です。
私は、その現実、実状を自分で打破して、自分を変革させてこそ、本当のことが分かってくると確信しています。
そして、今の自分の現実、実状を打破する方法、自分を変革する方法は、ただひとつしかないことも知っています。
それは、自分は形の世界にあるのではなくて、意識・波動の世界の中にあることを知っていくこと、つまり、自分の根本を変えることだと確信しています。
「心を見る」とは、あなたが、日々生活をしている中で、あなたの心の中に浮かび上がってくる思い、特に苦しい思いを確認していくことです。
苦しい思いとは、例えば、怒る、争う、競う、見下す、責める、支配する、嘆く、卑下する、誇る、蔑む、嫉妬する……といった暗い思いです。
まだまだ暗くて重い心の内はたくさんあると思いますが、このような暗くてドロドロした苦しい思いを、私達は、常日頃、頻繁に流しているのです。
しかも、殆どの人達は、そういう思いを無頓着に流しています。
よしんば、「ああ、そうだったなあ」という人でも、そのような思いが暗いとか、重いとか、ましてや、それがそもそもの誤りだなどということは、全くと言っていいほど知らないと思います。
とにかく、私達は、朝起きて夜寝るまで、色々なことを見て聞いています。テレビ、新聞、パソコン等を通して様々な情報に触れ、そしてまた同居する家族の人達、日々関わり合っていく人達を通して、私達の心の中には色々な思いが起こってくるのです。
しかし、殆どの人は、心を見るという習慣がありません。
だから、ある日突然に、何か自分達に不都合なこと、俗に言う不幸せなことが起こってきたときに、「私達は何も悪いことはしていないのに、何で私達だけがこんな目に遭うのか」と、よく言うではありませんか。
何も悪いことはしていない、それは確かにそうかもしれません。
世間様から後ろ指を指されるような事をした憶えもないでしょう。
しかし、です。
実際に、今、目の前に起こっている出来事の前に、すでに自分達には色々あったはずなんです。そして、そのたびに、色々と心が動いてきたのです。その心の動きを見ていったならば、先に書いた色々な苦しくて暗くて重い思いを、過去どこかで必ず出してきたと知っていくでしょう。
もっとも、過去出してきた思いと、今、目の前に展開している出来事とが直接結びつくとは限りません。あの時、こんな思いを出したから、今、こういう目に遭っているんだとは一概に言えないかもしれません。しかし、少なくとも、自分達は何も悪いことはしてこなかったとは決して言えないんです。
自分達が日々流しているエネルギーのすごさを知っていけば、決してそうは言えません。
ただし、自分達から流れているエネルギーのすごさを知っていくことは難しいです。そもそも、殆どの人達は、自分達からエネルギーが流れていること自体、知らないのではないでしょうか。
心が外に向いていれば、それが苦しいとか、なぜ苦しいのかとか、そういうことは、あまり気に止めません。
あくまでも、関心事は、事態の顛末です。
よしんば、自分の心が苦しいことは感じられても、その苦しさは、どこから来るのかは分からないし、なぜ苦しいと感じるのかも分からないでしょう。
強いて言うとすれば、今、目の前にある出来事などが発生元かなあというくらいのものです。
心が外に向いていれば、苦しみもまた外からやってくるのだと思ってしまうからです。
しかし、自分の中に思いを向けていれば、そういう出来事などが引き金となって、どんどんどんどん苦しみが、自分の中から湧いて出てくることを感じていくはずです。
ただ、そうなっても、苦しみの原因は自分の中にあることが、心で納得できるまでには、時間がかかります。
おいそれとは、認めることができません。
それが人間の実態です。人間は、自分を正当化する生物です。
こういうことも、また、あなたの心の片隅に留めておいてください。
自分を救うことをしなければ、生きても地獄、死んでも地獄です。ただ肉を持っているか、持っていないかの違いだけです。
そして、悲しいことに、肉を持つことによって、その苦しい心を紛らわせていく手段は、山ほどあるのです。
だから、殆どの人が、肉を持っている間、自分の本当の苦しみなど分かるはずがないのです。現に、自分が苦しいと訴えている人でさえ、本当の苦しみに出会っている人は稀です。
なぜならば、殆どの人が、自分の心を見ることを知らないからです。ただ、苦しい、苦しいと助けを求めているか、そこから逃げようとするばかりです。その状態から助けを求めようとも、どこかへ逃げ込もうとしても、どうなるものでもないことが、全く分からないのです。
例えば、あなたが人生を真面目に考え、一生懸命生きて、これこそ我が人生なりと満足の境地であったとしても、今現在、心のどこかに何か割り切れない、何かもやもやしたものはありませんか。
なぜ生まれてきたのか、なぜ死んでいくのか、死ねばどこへ行くのか、決してあなたの心で解き明かせない疑問があるのではないでしょうか。 人は誰しも一度や二度、自分の人生を振り返る時が必ず訪れます。
それは自分の中からの気付き、促しの時です。もっとも気付きとか、促しとかに気付けない人がほとんどです。自分の中が苦しいと訴えている、叫んでいるのに、ほとんどの人がその声に耳を貸さない冷たい心に成り果ててしまったのです。
しかし、自分は冷たい人間だと思っていない、自分は一生懸命、真面目に生きていると思っているから、本当に人間は愚かとしか言いようがありません。
さて、あなたは、これからどのくらい生きていくのでしょうか。あなたに残された人生の時間は、どれくらいあるのでしょうか。
自分はこのまま死んでいっていいのだろうか。
それぞれ、心に問いかけてみてください。
(塩川香世著『あなたこのまま死んでいっていいのでしょうか』『その人、田池留吉Ⅱ』『第二の人生』『母なる宇宙とともにⅡ』『意識の流れ増補改訂版』より抜粋)