生まれたばかりの赤ちゃんは、何も思いません。ただお母さんに抱かれていることが幸せなのです。
そのような時間があったことを、あなたには記憶がなくても、あなた自身、あなたの「心」は覚えているのです。
さらに言うならば、たとえ、お母さんにただの一度さえも抱いてもらえなくても、お母さんのお腹の中にいた時があったのです。その時には、みんな間違いなく、お母さんの温もりに触れていました。
その時は、ただただ幸せだったのです。ただただ安らいでいました。お母さんを信じていたあなたは幸せだったはずです。委ねる喜びの中では、ただそこにあるだけで幸せでした。
そのような思いを、間違いなく、どなたも感じさせていただいてきたのです。これがあなたですよ、これが本当のあなたですよと、母の意識は、あなたが肉を持つたびに、伝えてくれました。
「私に肉体をください」、そう願って、その願い通りに、あなたは両親のDNAを受け継いだ細胞の一つ一つに支えられて、お母さんのお腹の中で、この世に出ることを喜びで待っていました。
お母さんの子宮の中で、お母さんの肉体細胞を通して、様々な影響を受けても、あなたは喜びいっぱいで、この世に出ていくその日を、今か今かと待っていたはずです。
しかし、たとえ、お母さんのお腹から出る前に、あるいは、出てからほんのしばらくして、その細胞達が動いてくれなくなったとしても、あなたは、きっと、「よかった、嬉しい、ありがとう」という思いを流すはずです。なぜならば、ほんのしばらくでも、お母さんのお腹にいたからです。安らいで何の不満もない、ただ喜びだけの時間と空間を、あなたは持ったからです。その時、あなたは、お母さんの温もりの中に包まれている自分自身を感じていました。母親の存在を、あなたは充分に感じることができたのです。
母親という存在が、自分を受け入れてくれた、この事実は、無事肉体をこの世に送り出すことができても、またできなくても、変わらずにありました。そのことを感じているあなたは、たとえ、この世に肉体を持って現れることはなくても、「お母さん、ありがとうございます」と告げて、お母さんのお腹から喜びで、姿を消していくのです。
産まれてくるはずの我が子を流産したり、また死産であったり、産まれてすぐに死んでしまったりして、嘆き悲しむのはむしろ、母親の側かもしれません。
私達は、このようにして、生まれてきたはずでしたが、生まれてくる意味も、母親の存在も、成長するにつれて、きれいさっぱり忘れていきます。それで自分の人生を生きていこうとしても、山あり谷ありの人生を自分の思う通りに、乗り切っていけるものではありません。
実は、山も谷も自分の計画でした。そして、どのように通過していくかも、自分で設定してきたはずでした。
しかし、肉体をもらうことを願ってきた思いを忘れ、自分で計画してきた環境だということも忘れ、
「私はこんなところに生まれてきたくなかった。」
「なぜ私を産んだのか。」
「なぜ私の母親は、あのような母親なのか。」
と、不足、不満の思いはみんな、目の前にいる母親を目掛けて攻撃していきます。
厳しい環境であればあるほど、攻撃の勢いは強いものです。
また、そうでなくて、例えば、人も羨むような恵まれた環境であっても、どこかに不足、不満を探し出しては、その思いを母親にぶつけていくのです。
そのようにして、どなたも、自分の目の前にいる母親に対して、自分の思いがストレートに飛び出ることを体験していきます。
「なぜ、母親には、自分の思いがストレートに出るのだろうか。」
不思議に思いませんか。
皆さん、小さな頃は、母親に対して、散々好き勝手なことを言ってきたのではありませんか。
しかし、母親は、甘えて、駄々をこねても、結局は自分を受け入れてくれたはずです。時には厳しかったり、叱られたりということもありますが、それも父親がそうするのとでは、どこかが違うことを感じていました。
それは、誰が教えるわけでもないけれど、みんなお母さんとはそういうものだと、心のどこかで知っているからだと思います。
そうです、へその緒が繋がっているのは母親です。
そして、へその緒を切ったその時から、母親の存在をみんな忘れ去っていくのだと思います。
私達は、母親の胎内から生まれてきました。父親から生まれてきたのではありません。
生まれてくる、つまり、母親の胎内を通ってくる間に、私達は、大切なことを伝えてもらうのです。
しかし、母親の胎内から、この世に出てきて、時間が経過していくうちに、私達は、その大切なことを、すっかり忘れ去っていきます。
そして、自分の肉体を通して知る世界の中に、喜びや幸せを見出そうとして、目に見えて耳に聞こえる形ある世界のほうに、どんどん、心を向けていきます。
形ある自分にとって、形の世界は、非常に魅力的なのです。
実は、そうやって、どんどん、自分を見失っていくのです。
形ある自分と、自分の周囲にばかり、思いが向いていきます。
心を外に向けて、母の意識から伝えられたことに、背いていくことばかりをやっていきます。
心は外に向いた状態だから、それは、ごく自然な行動であり、それが、形の世界を本物として生きる生き方です。
だから、あなた自身には、自分を見失っていくという感覚もなければ、自分が何かに背いてきたという思いなど、全く感じないはずです。
むしろ、形の世界に喜びや幸せ、自分の存在意義を求めて、一生懸命に生きた結果として、自分の手の中に、たくさんのものをつかめば、それなりの満足感や達成感を実感していきます。
しかし、そのような満足感や達成感は、長続きしないはずです。
だから、夢よ、もう一度と、再び、何かに挑戦していくとか、新たな目標を設定するとか、やはり、あなたの心は、外へ、外へと向いていくのです。
喜びだ、幸せだと沸き返っている自分の心とは裏腹に、母の意識に背いて生きてきた心の中は、苦しみで満杯だなんて、知る由もありません。
いいえ、表面的には満たされても、心の奥底までは満たされないことを、あなた自身も、本当は、どこかで感じているはずなのです。
このような心の仕組みを、もっと具体的に、はっきりと自分で分かっていくためには、母親の反省を通して、自分の使ってきた心、思いを繰り返し見ていくこと、つまり、心を自分の中に向けていくことしかないのです。
「私は心です。私は思いです。そして、私達人間の本質は意識です。」
それを自分の中で知っていくために、生まれてきたのです。
それを、私達は、母の胎内にいた時に、伝えてもらいました。
「あなたのその肉体を通して、真実の世界を知っていきなさい。そして、今度こそ本当の人生を歩んでください。」
そのようなメッセージとともに、私達は、この世に出てきたのです。
そして、今、あなたは、そのような生き方をしてきましたかと、自分に問いかけようとしているところなのです。
ようやく、そのような時を迎えていることを、どうぞ、知っていってください。
だから、母親の反省なんてと思わずに、一度、真剣にその作業をしてみてください。
心を中に向けて、母に使ってきた思いを確認しながら、そして、本当に生きていくとはどういうことだろうか、私は、何かを間違えてきたのだろうかと、自分に問いかけながら、やってみてください。
母親とは、あなたにとってどんな存在ですか。
(田池留吉/塩川香世著『続 意識の流れ』、塩川香世著『母なる宇宙とともに増補改訂版』『第二の人生』『ありがとう』、HP『UTAの輪の中でともに学ぼう』より抜粋)