誰かの紹介で、UTAブックの本を読んで、いずれにしても、何を目指して仲間入りしてきましたか。

 この学びをやってみようと思われている方は、学びの動機の確認をしてください。

 なぜ自分は学ぼうとしているのか、どういう理由から学ぼうとしているのか、いわゆる学びの動機はどこにあるのか、自分の中で精査していくことが絶対に必要です。

 どなたも、全部と言ってもいいほど動機が違っていますので、その修正が絶対条件です。最初の第一歩が違っていれば、あとは全部ずれていきます。
 そのずれ、歪みの修正に時間とエネルギーを割いてください。
 そしてその修正の唯一のポイントが母に使ってきた思い、エネルギーです。つまりは母の反省です。母の反省とは温もりに徹底抗戦してきた思いを自分の中で確認して修正していくことです。温もりを足蹴にしていては、軌道修正は不可能です。

 この学びに今世集い来る人、そして、本書のような(たぐい)の書物に関心がある人の多くは、過去において神の言葉を聞いてきた、いわゆる霊能者であるとか、人の心を救い、人の心を導いてきた教祖であるとか、そういうことをしてきたと思います。だから何とはなしに、セミナーに心が()かれる。あるいは、これだ、これしかないとセミナーに通い詰めるのです。
 しかし、セミナーに集ってきたからいい、セミナーに通い詰めたからどうということではありません。
 問題は、あなたの動機です。あなたの動機は、あなたの心癖(こころぐせ)ということです。その動機を見る、動機を検証する中に、あなた自身の修正されなければならない心癖が、はっきりと出ているのです。

 この学びは他力信仰ではありません。宗教ではありません。
 救ってもらえる場でもなく、パワーを授けてもらえる場でもありません。
 セミナーは人生です。自分の存在の間違いを自らに気付かせていく貴重な時間と空間です。

 動機の修正を速やかに進めること、これは学びの成果を出すうえで大変大切なことです。
 学びに対して熱心というのは形ではありません。
 他力、すなわち欲の思いで学びをしても、殆ど効果は出てこないでしょう。
 学びに触れた喜びは何となく感じているかもしれませんが、それはやはり表面上のことでしょう。根本的に間違いを正さなければ、殆ど何も変わりはないという現実をしっかりと認識する必要があります。
 そういう意味で、学びは難しいということだと思います。
 いかに純粋にひたむきに学びと向き合えるか、つまりは自分と、愚かな狂い続けてきた自分と向き合えるかということに尽きます。
 何度も何度も次から次へと出てきます。愚かな自分が出てきます。
 それを本当に心からありがとうと受け止めていける自分は幸せだと思えるのは、その作業を自分の中で淡々と進めていくことにより、味わえるものです。実践です。自分の中で実践です。学びの動機の修正の度合い、そして母の温もりを感じている度合いが左右します。

 学びを継続していくには、基本的に真面目ということが必要です。真面目、それは肉的な生真面目、堅物というのではなくて、本当のことを追求していく思いに真面目ということです。つまりは、自分て何なんだ、自分の人生これでいいのかというようなことをいつも思いながら生きている人種でなければ、自分の心を見るという地道な学びは長続きしません。救いを、助けを、パワーをという欲の思いに応えるべく学びでないから、動機の修正がない人達は、一時盛り上がった思いも萎みやがてはまた肉の中に消え去っていくでしょう。ともに行こうというのは数の問題ではありません。思いの深さ、愛に向かって突き進んでいく思いの深さを言っています。

(田池留吉/塩川香世著『続 意識の流れ』、HP『UTAの輪の中でともに学ぼう』より抜粋)