【私達の心の中に、母、つまり温もりに対して反逆してきた思いがあります。
その温もりに対する反逆する心、その心を他力の心と言います。実は、その心が宗教という世界を創ってきたのです。
肉、形を本物とする心、我一番、我は神なりの思いです。この他力の心が、私達の心の中にこびりついています。】

 私達は間違った道を歩いてきました。間違って、間違って、間違ってきた道を歩いてきたんです。
 そして、真っ黒な道を歩いてきた自分を、本当に優しい母の温もりの中へ帰していこうと、私達は、このように肉体をお母さんからいただき、今、ここに存在しています。
 「『あなたは温もり』『あなたは優しさ』、ただただそのことを信じていってください」と、お母さんからメッセージを受けて、お母さんのお(なか) から生まれてきた私達です。
 自分は、今ここに存在して何をしていけばいいのか、何をすべきなのか、これから私達は、そのように自分に問いかける事態に遭遇していきます。
 神様、仏様と、天を仰ぎ祈り続けても、それに対して返されてくるものは何もありません。
 あなたは、悲惨な光景を眼前(がんぜん) にして、または、荒れ果てた荒野の中でただひとりたたずんでいる自分の姿から、一体何を思っていきますか。
 真実がはっきりと形になって現れてくるこれからです。
 形あるものは、ことごとく崩れ去っていく中で、心は何を叫ぶのでしょうか。
 絶望の(ふち)に立ったとき、心が空っぽになったとき、そんなとき、どこからか聞こえてくる声があるのです。
 じっと耳を澄ませば、それは、何だか自分の中から響いてくる声のような気がします。
 一生懸命、呼びかけてくれている声のほうに心を向ければ、心の中に、確かに知っている懐かしい思いが広がってくるのです。
 懐かしいなあと、さらに思いを向けていけば……。

 心の叫びを、大きく、広く、優しく、そして、どこまでも温かく受け止めていけることを知っていきましょう。
 優しさと温もりの中にあった自分を(よみがえ)らせるために、すべてを計画していきます。
 そこに広がっていくのは、喜びだけです。ありがとうの思いだけです。
 本来の自分に帰っていく喜びだけが存在します。

 田池留吉氏は、母親の反省をしなさいと、まず伝えました。
 それは、私達の心の中に母、つまり温もりに対して反逆してきた思いが、ずっしりとぎっしりとあったからです。
 その温もりに対する反逆する心、その心を他力の心と言います。実は、その心が宗教という世界を創ってきたのです。
 宗教は、心の中に区別、差別の思いを助長させていくエネルギーです。御仏(みほとけ)(つか)える者、神の声を聞く者、宇宙のパワーを心に宿す者、そのように、私達は自分と他を区別し、己を大きくのさばらせてきました。
 本当の自分を見失って、肉を自分だとする思いを、どんどんどんどん膨らませていったのが私達人間です。
 他力の心は、恐ろしい心です。
 他力の心は破壊、破滅に(つな)がっていく心です。
 世界人類の平和のために、すべての人達に幸あれと神、仏、宇宙のパワーに思いを向けること、祈り念じること、実は、これほど恐ろしいものはないのです。

 それが母、つまり、温もりに反逆するということなんです。
 私達は、形を本物とする思いに()(かた)まってしまって、それが分からなくなってしまったんです。
 その分からなくなってしまったということを思い起こすために、田池留吉氏は母親の反省を伝えてきました。
 お母さんにしてもらったこと、してあげたこと、お母さんがしてくれなかったことを思い出しながら、小さな頃から、今の母親との繋がりの中で、自分の心に出てくる思いを振り返っていく、見つめていく母親の反省を、まずやりなさいと田池留吉氏は伝えてくれました。

 温もりを捨て去った心、温もりに反逆してきた心、肉を持つすべての意識達は、その心を広げ、今の今までやってきました。
 そして、これからもその心を持ち続けます。
 しかしながら、祈る心、祈るエネルギー、そのエネルギーの愚かさを(みずか)らに知らしめるこれからです。
 人間の心の中に眠ってきた祈る心、祈り念じる心、そのエネルギーのすさまじさ、そのエネルギーの愚かさ、それを自らの肉を通して感じていってください。
 それは、すべてを破壊していくエネルギーです。そのエネルギーを自ら体験していくのです。
 すごいですよ、これからの天変地異は。
 すごいです。宇宙からのエネルギーは、本当にすごいエネルギーです。喜びのエネルギーと一口に言いますが、想像を絶するほどのエネルギーです。
 一瞬のうちに、壊滅状態になっていくんです。
 人道支援、そんな悠長な場合ではありません。すべてが一瞬のうちに無くなっていくんですから。
 そんな中で、一体、心は、どのような叫び声を上げるのでしょうか。

  まず、母の反省です。

 自分を産んでくれた母親に対して、どんな思いで接してきたか、接しているか、なるべく小さな頃のことを思い出してください。
 母親がしてくれたこと、してくれなかったこと、自分が母親にしてあげたこと、という三点に絞って、その時、自分はどんな思いを使ったのか思い出して、ノート等に綴ってみるという反省です。
 なぜ母の反省なのかということですが、あなたのお母さんが、あなたに今の肉体をくれたのです。
 それは、「はじめに」のところでも書きましたように、あなたが自分に肉体をください、私を産んでくださいと、母になる人にお願いしたからなのです。もちろん、そんなことは、今の段階では、おそらく、みんな知らないと答えるでしょう。
 しかし、それは、今はそうであっても、いつの日にか、どなたの心にも感じられることなんです。
 そして、それは同時に、自分の今の肉体がなければ、自分に本当のことを伝えることができないと知っていきます。
 自分に本当のことを伝えることができなければ、どうなっていくのか。本当はみんな自分の心に知っているんです。ただ、それはあまりにも苦しくて、あまりにも恐怖だから、触れないようにして、誤魔化(ごまか)して日々の時間を過ごしているだけです。

 自分の中に(うごめ)くエネルギーを、母を通して、まず感じてくださいというのが、母の反省です。
 母の反省をしていって、母親との関わり合いの中で、自分が母親に出してきた思いを知っていけば、自分がどんなに凄まじい思いを、目の前の母親目がけて吐き出してきたかが、はっきりと感じられます。
 母親が口を開くたびに、何かをするたびに、自分の心から母親に向かってストレートに出る思いが、どなたにも必ずあります。
 その出る思いはどんな思いなのか、そして、そのエネルギーの勢いはどんなものなのかを確認してください。
 母親という存在は、自分の中に溜め込んできた思いを、素直にストレートに出してくれるありがたい存在です。
 産んでくれて、育ててくれてという親の恩をありがたく受け止め、それに報いるような人間であれという、そんな道徳的なものはどうでもいいことです。
 それよりも何よりも、自分の母親に対して出す思いを包み隠さずに、ありのままに感じ、確認していくんです。そのために、自分にとって受け入れ難い母親が目の前にいることを知ってください。
 中には、母を敬い、母を美化する人もいるでしょうが、(ほとん)どの人は、母親を見下げ蹴散らして、我儘(わがまま)気ままのやりたい放題というところではないでしょうか。
 母を敬い、母を美化している人も、もっと自分の心の奥を感じていかれたら、とても、とてもということでしょう。

 みんなすごいです。肉体という形を持った目の前にいる母親を通して、自分の中の狂った凄まじいエネルギーを感じていきましょう。
 みんな心の中にあるんだから、母の反省をしていけば、必ずどなたも自分の中の狂った凄まじいエネルギーを知っていきます。
 知っていくまで、母の反省をしてください。
 みんな本当の自分を捨て去った、愛を捨て去ったんです。
 温もりなど要らない、愛などくそくらえ、と叫んできた思いを自分の中で確認できるまで、母の反省をしてください。
 そして、お母さんと心に思う、心で呼ぶ、そんな時間を持ってください。

 そうしていけば、どんなに温もりなど要らない、愛などくそくらえと叫んでいても、それを本当に無条件で、ただただ受け止めてくれていた母の思い(母の温もり)を、いつの日にか、どなたも知っていけるのです。
 そうなってくれば、自分が肉体という形を何としても持ちたかった思いが、自分の中ではっきりと確認できます。
 どんなに今という時が嬉しくてありがたい時なのか、自ずと自分の心に響いてきます。
 まずそんな母の反省と、母を思う時間を設けて、最初は、表面的でいいですから、「お母さん、ごめんなさい。お母さん、ありがとう」と、素直に言えるようになってください。
 初めは、それがささやかなものであっても、やがて、「ああ、私は間違ってきたなあ、お母さん、ごめんなさい。お母さん、ありがとう」という思いが、あなたの心の奥底から突き上がってくるんです。

 もちろん、それはそんなに簡単にはいきません。
 その思いを阻止する思いが、長い、長い転生を経て、それぞれの心の中に溜め込まれているからです。
 そして、その阻止する思いとは、肉、形を本物とする思いなんです。我一番の思いです。我は神なりの思いです。
 その肉、形を本物とする思い、我一番、我は神なりの思いを、私達は他力の心と言っています。
 この他力の心が、私達の心の中にこびりついています。その心は、非常に根深いし、根強い思いなんです。

 そこで、母の反省と同時、並行に進めていくのが、他力の反省です。
 根深く根強くこびりついている他力の心を知っていくんです。
 繰り返します。
 他力の心とは、肉、形を本物とする心です。我一番、我は神なりの思いです。
 この心を崩していくために、私達は何度も転生してくるのですが、結果はその逆となってしまうのです。崩すどころか、さらに上積みをしてしまう結果でした。
 私達人間は、自分の本当の姿を忘れ、自分を肉だと思って、その自分を高め、肉の自分の幸せと喜びを手に入れようと、自分の外に、思いを向け続けてきました。
 神、仏の加護と力を求め続けました。いつも比較競争の中にありました。そうして、闘いの後、勝利を収めた者が、覇者(はしゃ)となりすべてを牛耳っていきます。人類の歴史は闘いの中にあったと言っても言い過ぎではないでしょう。
 もっと言うならば、神と神の闘い。それぞれが神という大義名分を掲げ、己の我欲をむき出しにしていくんです。
 そうして得た王者、覇者の地位であっても、いずれはその地位を追われる、つまり、滅亡していくんです。覇権(はけん)を争い、いつ自分の寝首を掻れるか、心休まる日など一日もないでしょう。

 日本の国、世界の国々の歴史を紐解(ひもと)けば、大体こういう愚かなことを繰り返してきたことが分かります。
 人間は、自分の本当の姿に目覚めていくために、何度も、何度も、数え切れないほど転生をしてくるのです。
 しかし、その自分達の切なる思いとは裏腹に、転生のたびに、みんな真っ黒なエネルギーを溜め込んでいきます。
 しかも、誰もそんなことには、全く気付けませんでした。全く気付けないほど、自分達が堕落(だらく)してしまったんです。それが私達人間の偽らざる現実です。
 地球人類の殆どすべての人が、自分の肉体を指して自分だとしています。今も、もちろん、その基盤の上で生きています。これからもそうでしょう。
 また、殆どすべての人が、神や仏というものは、自分達人間とは別個の世界のものだと思っています。では、なぜそう思うのでしょうか。
 「人間とはいかなる存在なのか。
 このことが、本当に自分の心で知って分かっていけば、決してそうは思わないはずなんですが、現実はそうでないんです。だから、私達人間が堕落してしまったと言えるんです。
 神を心から信じ敬う、神に忠誠を誓う、仏に帰依(きえ)する、こういうことは、本当に素晴らしいことなのでしょうか。立派なことなのでしょうか。褒られるべきことなのでしょうか。
 神や仏の世界を説くというか、感じていく人は、これまでにもあまた出現したことでしょうが、自分とはいかなる存在か、自分の本当の姿を知らず、分からずに説く、神、仏の世界とは一体どんな世界なのでしょうか。
 そもそも、悟りとは何でしょうか。自分の本当の姿を見失ったままで、悟りも何もありません。

 どうぞ、既成概念をすべて外して、これまでに(しる)してきました母の反省をしてみてください。
 転生のたびに、真っ黒なエネルギーを蓄積(ちくせき)してきたとか、人類は堕落してしまっているとか、そういうことは、にわかには理解できないとは思いますが、まず、母の反省を通して、自分の心に何かが、確かに何かが響いてくる体験を重ねていかれたらと思います。

(塩川香世著『宇宙の風 増補復刻版』、田池留吉/塩川香世著『あなたは愛です』より抜粋)