【 あなたの心は、絶え間なく動き続けているのです。
   ということは、あなたは、知らず知らずのうちに、様々な思いを出しているのです。】

 「心を見るって、どういうことだと思いますか」と、聞かれたときに、

 「心を見るということだから、自分の今、思っていることを振り返るとか、語ってみるとか、そういうことかなあ。だけど、自分が今、心で思っていることって何だろうか。
 そういえば、私が心で思っていることと、実際に話していることとは、最初から最後まで全部、ピッタリ一致しているとは言えないなあ。時には、全く反対のことを言っている場合もあるし・・・。まあいいか、どうせ、黙っていれば、私が心で思っていることは相手に通じないのだから・・・。」

 「なぜ、心で思っていることを、そのままストレートに話すことができない自分があるのだろうか。
 私は、本当はこんなふうに思っているのに、その三分の二も、いいえ、半分さえも言えないのはなぜかなあ。
 ぐっと言葉を飲み込んでしまう自分があって、いやだなあ。こんな私は苦しくていやだ。」

 「何で、私は自分が心にも思ってもいないことを、こんなに口からスラスラと出てくるのだろうか。私って怖い。他の人も、こんな感じなのだろうか。心と裏腹なことを、みんな言っているのかしら。」

 こういうふうに、心を見るとはどういうことかと聞かれたことから、あなたの心は、様々な方向に向いて、色々な思いを発していくでしょう。

 例えば、相手と会話をしていても、今、話題になっている事柄よりも、どこか違うところに、自分の思いが向いていることを感じたことはありませんか。
 「心」ここにあらずという言葉にもあるように、「心」は、絶えず動いているのです。
 朝、目が覚めて、一日の活動をし始めると、目から耳から色々な映像や音が、自分の中に飛び込んできます。
 そういうものを見て聞いて、あなたの心は、絶え間なく動き続けているのです。
 ということは、あなたは、知らず知らずのうちに、様々な思いを出しているのです。

 実は、言葉によって、その思いを伝えなくても、もうすでに、自分の心から発せられた思いは、エネルギーとなって放出されています。
 いくら言葉で修飾しても、言葉で伝える思いとは別の思い(波動)が流れ出ているのです。
 この仕組みが、ほとんどの人にはまだ、理解されていません。
 黙っていれば、相手には分からないと思うかもしれませんが、黙っていても思い(波動)は流れています。
 言葉に乗せて、思い(波動)が流れます。
 言葉を使っている人の思い(波動)が、確かに流れます。

 そして、問題は、その流れている思い(波動)はどうなのかということです。
 言葉で喜びとか愛を表現しているけれども、果たして、それは真実の喜び、真実の愛を語っているのかどうなのかということです。

 何かを言う、何かをする、その元に自分の思いがあるはずです。人から何かを言われれば、自分も何かを思い、そしてその思いを言葉で発するか、態度で示します。そうしなくても何かを思うはずです。
 また、人が何かをするのを見たり聞いたりすれば、自分もそれに対して色々なことを思います。ときには、激しい感情となって心から噴き出て、それが自分の言動となっていくこともあるでしょう。その他、理由もなく、空しさや寂しさで心が埋められていく時もあるでしょうし、有頂天になって、いい気分、楽しい気分に心が踊っている場合もあると思います。
 どういう状態であっても、それらはみんな自分の中で作ってきた偽物の自分です。
 その偽物の自分が等身大になって、今の肉体を通して現れてきているのです。心を見るということをしなければ、そのひとつひとつに振り回されていきます。
 言うなれば、本物の自分と偽物の自分とのギャップに翻弄されていくのです。
 それが形の世界では、様々な悩みや苦しみとなって自らを苦しめているかのように映ります。

 私達は思いの世界に生きています。意識が私達です。
 話すこと、行動すること、それらはみんな何らかの思いがそのベースにあります。そして、思っていることと、話すこと、行動することが一致しないことが往々にしてあります。そういう場合も思いが基準になってきます。言葉や態度で自分以外は騙したり誤魔化したりできるけれど、自分自身はみんな知っています。嘘をついている、誤魔化している、いい加減だ、言葉や態度と裏腹な自分を感じます。そしてそれは心を見るということにより、なおいっそうはっきりとまた深く感じていきます。

 そこで、心を見ることによって何が分かるか、それは自分が出し流してきた思いが、自分に返ってくるということです。思いはエネルギーですから、仕事をします。自分に対して仕事をするのです。
 そしてそこからまた、心を見ることによって色々な気付きがあるのです。

 人は、自分の存在を家族に、他人に、社会に求めます。自分というものが必要な存在となるように、それらを基準にして自らを使っていきます。自然にエネルギーが外へ向いていくのです。そうではなく、エネルギーを中に向けてみなさいというのが、心を見ることです。

テーマ:「あなたは、日常の中で、自分の心が苦しいと感じていますか。」に続く

(塩川香世著『愛と死の真実』『ありがとう 意識の流れ姉妹編』より抜粋)